火鉢から現代アートまで
信楽の土と炎で創る、心を揺さぶる造形
古き良き窯元
創業当時に建てられた作業小屋。ここで3作家の制作や陶芸教室が行われる。昔ながらの趣があり、映画やドラマの撮影に使用されたことも。併設のギャラリーは、以前は機械室として使われていたもの。
幻想的な窯ギャラリー
miharu
2017年にオープンした登り窯ギャラリー。なかなか入ることが出来ない焼成室内には、穴窯作品を始め多彩な器が並ぶ。
みはる窯のあゆみ
1960年代
昭和35〜44年
信楽町内の丸由製陶所に二男として生まれた初代春治。戦後まもない昭和24年、現在の地に登り窯を築いた。その頃、信楽は火鉢の一大産地であった。生地を挽く生師や、施釉、窯詰め、焼成と多くの職人や問屋が出入りしていた。
1970年代
昭和45〜54年
石油ストーブの普及に伴い、火鉢の需要が急減した。
信楽土は小物から大物まで適応できる可塑性の高い良質な土であることから、様々なやきものが作られた。みはる窯でも、信楽狸や便器、傘立てなどが焼かれた。
1980年代
昭和55〜平成元年
陶器市場の縮小とともに、大物陶器に変わり、食器を主に作り始めた。
3代目である継春は多治見に留学して器作りを学び、信楽での器作りに生かした。
登り窯の規模で陶器を生産することが無くなると、登り窯の火袋と一の間をつないだ部屋で信楽焼、ガス窯で施釉陶器を焼成した。
1981年に現在の穴窯を築いた後は、信楽焼はここで焼成されるようになった。
1990年代
平成2〜11年
3代目継春の器が評判となり、百貨店の企画でタイで滞在制作を行うなど、様々な雑誌にも取り上げられる。
2000年代
平成12年〜現在
4代目秀策が家業に加わり、みはる窯の焼き物はさらに広がりを見せる。
結婚を機に現代アート作品を陶で作る桝本佳子が加わった。