みはる窯

焼締めについて焼締めについて

焼締めについて

焼締めで有名な信楽焼とは

信楽焼は、鎌倉時代に始まったと伝えられています。
古琵琶湖層に含まれる良質な粘土を使い、半農半陶の職人により壷や甕などが作られていました。江戸時代には、茶の湯の流行を受け、信楽焼の中でも特に水指が重宝されました。また、信楽の名産である茶葉を運ぶ茶壺や、急須や茶碗など様々な日常器も制作されました。明治以降は火鉢や糸取り鍋などが主要製品となりましたが、燃料の転換が起こる中それらも下火となり、各窯元は時代のニーズにあったやきものづくりへと工夫を凝らしてきました。
このように信楽焼は様々な製品を作ってきた歴史がありますが、中世から受け継がれてきた信楽焼は釉薬を施さず、薪窯で何日もかけて焼成され、土と炎、灰の織りなす様々な表情を魅せる焼締の陶器です。

焼締めで有名な信楽焼とは
  • 土

    およそ400万年前に三重県上野盆地に誕生した古琵琶湖は、少しずつ移動し約40万年前に現在の琵琶湖の位置になった。その跡にできたのが古琵琶湖層と言われる粘土層である。
    この粘土はコシが強く、成形しやすく耐火性も良い。他産地でも信楽土をブレンドして使用されてきた。

  • 炎

    現在、大半の製品はガス窯や電気窯で焼成されており、登り窯を焚いている窯元は数少ないが、穴窯などの小規模な薪窯で信楽焼が焼成されている。
    みはる窯の穴窯は 1250度まで4日かけて焼成する。焼成中は24時間薪を入れ続け、その数は200束ほどになる。
    焼成前には必ずお神酒と米を供え、焼成の成功を祈願する。

  • 技

    信楽の土は粗く、石の小塊を含んでいるため、成形中はどんどん手の皮がすり減っていく。とりわけ、伝統工芸展などに出品する大型の作品作りは、土との格闘でもあり、対話でもある。焼成時の炎の動きをも考慮しながら、新たな造形を生み出していく。

焼締めによって生まれる
独特の風合いの
みどころとは?

釉薬を施さずに高温で焼き締める信楽焼は、焼成時の窯の中での位置、
炎のまわり具合、温度、湿度、素地土に含まれた成分などの微妙な条件の違いで変化し、様々な景色を生み出す。

  • 緋色

    素地に含まれる鉄分が酸化することで赤褐色に発色する。まるで火の色のようである事から「火色」または「緋色」と呼ばれる。炎が直接当たったところに現れ、当たらない部分は素地のまま白く残る。その変化の様子は、信楽焼の最大の魅力である。

  • 灰被り

    燃料である薪は燃え尽きると灰になり、器に降りかかって焼き付くことがある。
    また、灰被りが炭化すると黒く焦げた様になる。その様子は自然の豪快な景色を写している。

  • 自然釉

    薪の灰の中に含まれるアルカリ・石灰などの成分が、素地中の珪酸と反応し、溶融しガラス質の釉となる。これを自然釉といい、焼成条件によって緑、黄、茶と変化する。

  • 霰

    信楽土に多く含まれる長石が、高温下で溶け、白いガラス状の粒となって表面に現れる。白い霰粒が降ったように見えることから「霰」と呼ばれる。また、膨張した様子が蟹の目にも例えられる。

  • 石ハゼ

    土中に含まれる珪石粒は、1300度でも溶けることは無いが、素地の収縮により表面に出てくることがある。石が爆ぜたように見えることから石ハゼと呼ぶ。

  • とんぼの目

    自然釉が溶けて流れ、その先端が丸い半球の滴状になった様子。とんぼの目の様に複雑な色相を呈し、大変美しい。

信楽焼の伝統を受け継ぐ、みはる窯の三人の陶芸家

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